日常

今日も生きたなあ

日常

あとどれくらい生きられるだろうか。時々そんなことがふと頭をよぎる。わりと健康で毎日を暮らしていると自分が死ぬことなど考えることもない。人は必ず死ぬことは明らかな事実であると頭ではわかっているのに、自分の死について実感を持って考えられないのは、そうしないと生きていけない人間の特質なのだろう。

ところが健康が損なわれて、ある日突然生の残り時間を知らされた場合はどうだろうか。今までせいぜい人は死ぬものだという観念的だった死が、現実的なものとして自分の身に起きたら大いに狼狽すると思う。昨日、今日、明日と普通に続いていた日常から切り離されて、今日も生きることができた、明日はどうだろうと考えることになるだろう。

命の期限を知った時、自分は何をしたいと望むだろうか。きっと生と死に関する本を読んだり、可能なら大自然に身を置いて生きてきたこれまでを振り返ると思う。今の仕事など投げ捨てるのは間違いない。それだけくだらないことしかしていないからだ。プログラマーなど辞めて本当に生きがいを感じられることを見つけ出したい。

たとえ会えなくても最期に会っておきたい人がいる人は幸せだ。自分にはそのような人はいない。つくづく孤独を選んで生きてきたのだなと思う。好きでこうなったわけではないけど、そうならざるを得なかった事情がある。これも一つの人生の形として受け入れるしかないのだろう。寂しいけど仕方ない。と考えつつも、またすぐにいつもの(幸せな)日常に戻り、くだらない仕事にあくせくしているのかな。これは今を無難に生きている人間のエゴだとは思う。

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